日々ぴこぴこ

TESとかFalloutとか、思ったことを淡々と。

すごく懐かしい話。

最近、80年代のJpopとかが、再評価されてますよね。

本田美奈子.さんのoneway generationとかも。

ゲームも、これまでは古いゲームを懐かしむ人を「懐古厨」と呼んだりしてバカにしながら、実はゲーマーには全体的に、子供のころ楽しんだゲームを懐かしむ人って結構多いように思います。

 

SkyrimにせよFalloutにせよ、オープンワールドで何をするのも自由、シナリオを進めなくても大丈夫、というゲームは、最初のうちはとても新鮮で面白いし、没入感も強くて楽しいんですが、なんだろ?ゲームってなんかの目的や目標のために没入しているときが一番楽しいのであって、特に日本人には、何か特定の目標、目的を設定しないと、なかなかヒットに至らない傾向があるような気がします。

ソシャゲとか重課金ゲーが流行るのは、お金を掛けることで「俺ツエー」が満喫できる一方で、そういう日本人ゲーマーにある「目標や目的へひた走りたい」という願望に合致しているからじゃないか、と思わないでもない。

 

僕がゲームにハマったのは、中学校の頃、MSXというホビーパソコンが家にあったからで、歴史好きというのものあって、光栄(コーエーテクモの母体)の「信長の野望」とか「三國志」シリーズにそりゃもう、ハマりにハマったわけで。

 

まもなく、僕もPC98やPC88を買って、そのゲームを(関西在住だったので)日本橋でんでんタウンに買いに行っていたわけです。

 

このころのでんでんタウンというのは、今と違って所せましと電気屋やパソコン・ソフトウェアショップ、レコードショップがひしめいていました。雑居ビルの全フロアがそういう電気屋、ソフトウェア、中古レコード店があったなんて、信じられないでしょ?

 

大阪地下鉄の「恵美須町」は、少し南に行くと通天閣という、今では観光地として比較的楽しめるところですが、その頃はとっても品のいい街並み(皮肉)でした。とうてい、高校生一人で立ち入れるような雰囲気じゃない。その近くの浪速警察がアパッチ砦みたいな存在感で。

その警察署が南端、堺筋に沿って東西に電気屋などがひしめいていたわけです。

僕のルーチンワークとして、恵美須町で降りてすぐに南、さーっと歩いてお目当てのパソコンゲームソフトを探します。このころは中古・新品ともに価格競争があって、場合によっては新品でもいいか、というときもありました。

中古パソコンソフト屋は、たいてい築数十年の雑居ビルの2階や3階にあって、階段で上るんですけれど、薄暗いんですね。ソフト買うような人間は金持ってますから、やんちゃな人たちがそういうパソコンゲームオタクを狙って恐喝したりする。結構デンジャラスゾーンでもあって、警備員も居たりして。

そのまま北上すると、有名な絵画売りつける詐欺ショップがあって、たいてい美人な人が勧誘している。僕はまだ高校生ですから、そんなものには全く興味がないわけです。

その頃、まだPC98とかX68000とか、国産パソコンも乱立していた時代ですが、新品ゲームも中古ゲームも、とんでもない量が生産されては、消費されていたわけで、雑誌で予め目星をつけていても、実際現地でいろんなパッケージを見ていくうち、このゲームも欲しいな、という気持ちになります。これが、いまのネット全盛期と違うところで、音楽でも「ジャケ買い」があるように、ゲームソフトにもあったんです。「ジャケ買い」が。

 

恵美須町駅から北上すると、なんさん通りという通りがあります。そこまでが、ゲームソフト屋や電気屋街。そこから日本橋駅まではだいぶ違った街並みに変わりました。

そこまで、無数に林立していたショップを歩き回りながら、所持金許す限りいろいろなゲームを買いあさる、こういう経験はなかなか、貴重なものでした。

結局、買ったゲームのほとんどはあんまりな内容が多かったんですけれどね。

 

その後、自作パソコンブームの時代も、ジャンクパーツや見切り品を捜索するため、でんでんタウンを彷徨することになるわけです。

あの頃の、自分の足で稼いだ情報と知識っていうのは、今のようにネットが便利になってしまうと恐ろしくアナログで不正確なものが多かったと思いますが、楽しかったんですよね。

ある意味、自分がゲームの主人公のようになって、何かの目的のためさまよい歩くような。目標や目的は一応設定されているわけです。

それに比べると、ネットでショッピングするのは、比較が簡単だったり、性能について口コミを得やすかったりして、大変便利なのは間違いないのですが、あの頃のように、購入に至るまでのシナリオが無いというか。

「ああ、あの店の見切り品ワゴンセールのなかに、これあった!」

「あ、メモリこっちのほうがよかったなあ、次行ったらこれ買おう」

みたいな、次への伏線というか、楽しみが無いんですね。

僕のようなおっさんは、あの頃のでんでんタウンが(戻ってくるわけないけれど)戻ってきてほしいなあ、と思いながら、80年代90年代のJpopブームを楽しんだりしているわけです。