日々ぴこぴこ

TESとかFalloutとか、思ったことを淡々と。

いわゆる「コロナ禍」

仕事柄、繁華街にも田舎にも行くことがあります。明らかに、コロナ禍は終わったんだな、と思わされる毎日です。人の流れも戻ってきて、あれほど閑散としていた繁華街には人があふれ、逆に、自宅に引きこもって仕事する人が多かったコロナ禍、盛況だった郊外の住宅地からは、閑静な雰囲気が戻っています。

 

いったい、コロナ禍っていうパンデミックはなんだったんだろう、そう思わせられる中で、ふと思ったことがあります。

それは、キャンプブームが終焉したというニュースを聞いたときに感じたものです。

そういえば、コロナ禍ではキャンプが盛況でした。

ところで、ブームというのは一過性のものであって、必ず終わるものです。焼きたてメロンパンしかり、タピオカブームしかり。終焉するからブームなのであって、終焉せず定着すればそれはブームではありません。例えば、スマホブームなんて言わないでしょ?

キャンプ文化がブームなのか、それとも定着したものなのかは、これからわかることなので判断はまだ早いと思います。そもそも、僕はキャンプしたいと思ったことすらないので、正直どうでもいいのですが、まだブームが終わったと決めつけることには違和感を感じます。

 

で、なんでコロナ禍にキャンプがブームになったのか。

それは、日常に存在した個々の「居場所」がなくなったからじゃないかと思います。

例えば、僕はゲーマーだから、ゲームをしているときはそこが居場所です。正直、コロナ禍だろうがなんだろうが、ハマっているゲームがあればそこが居場所であって、これはいわばシェルターというか、そういう感じの空間だったわけです。

 

コロナ禍では、ソーシャルディスタンスといって、ある程度の距離感を大事にしましょうと誰もが言ってました。テレビでもリアルでも、極力距離感を大事にしていました。ところが、物理的な距離感をもっても、相互監視社会というか、マスクしているか、距離を保っているか、飛沫を飛ばしていないか、遠出していないか、大声で騒いでいないか等々、お互いで監視し合った社会でした。まるで戦時中の隣組みたい。

そういう、強固な相互監視社会になると、これまでの社会のような、適度な物理的・精神的距離感が破壊されてしまって、ただ、仕事と家の往復でさえ、ストレスになったわけです。で、僕のようなゲーマーはより没入感の強いゲームを求めていました。まるで、ゲームが現実逃避の麻薬や、強いお酒のように。

 

キャンプが流行りだした理由は、そうした相互監視社会からの逃げ道として適切だったからだと僕は思います。特にソロキャンプは、誰からも監視されない、誰からも追われない、一人の空間でした。マスクをしなくても、大声を出しても、お酒を呑んで飛沫を飛ばしまくっても、誰からも何も言われない。いわば、コロナ禍前の日常に戻れる空間、それがキャンプだったと。

 

コロナ禍が過ぎ去ると、そうした避難地、シェルターの必要がなくなりました。

いま、マスクしていないことで指弾されることはありません。居酒屋で叫んでも怒られません。つまり、相互監視社会ではなくなった。誰からも監視されない、適度な距離感が戻ってきた。だから、キャンプやゲームに逃げる必要がなくなったわけです。生きているだけでストレスを感じる社会が終わった、という感じです。

日常の、相互監視社会から逃避するたけにキャンプに行っていた人たちが、キャンプ道具をリサイクルショップに売り払い、日常生活に戻るのは必然だと思います。あんなにハマっていたゲームに興味すら持てなくなったのも致し方ないと思うわけです。

 

ただ、キャンプに関しては、そこに新しい人生の側面を見出した人は、少なからず存在していると思います。統計を見たわけでもないのですが、コロナ禍前に比べて「キャンプ人口」は確実に増えているはずです。キャンプギアを開発している企業も増えています。つまり、キャンプという文化は、確かにコロナ禍における爆発的な、異常な盛り上がりは今後見せないかもしれませんが、ある一部の層には定着しているわけで、それはコロナ禍前と比にならない厚みと拡がりです。ブームは去ったかもしれませんが、文化は生成されたのではないか、と思わないでもありません。

 

コロナ禍が過ぎ、今のような生活に戻ってから、僕もなぜかゲームへの熱中度が下がっています。いまゲームに没頭するよりも、リアルで見たいものが多くあります。これはコロナ禍で禁止されていた旅行や遠出が許されるようになって、これまで見ておけばよかったという景色や風景を、取り戻すように見たいという願望が芽生えたからです。また、いつコロナ禍のようなパンデミックが訪れるかわからない。その前に、できるだけ自由に世界を見て回りたいという気持ちが強まります。

 

観光地に仕事で行くと、世界中の様々な人たちが日本を訪れていることを実感します。きっと、彼らも、コロナ禍では家に閉じ込められ、いつの日か世界をめぐる日々を願っていたのでしょう。観光している彼らの顔はみな、楽しさにあふれかえっています。

 

そんな今日この頃だからこそ、コロナ禍のことを繰り返し思い出し、「コロナ禍ってなんだったんだろう」と考える日々です。自分がゲームに最近没入しないのは、けっして、ベゼスダの最新作ががっかりの連続だからではありません。