日々ぴこぴこ

TESとかFalloutとか、思ったことを淡々と。

たまには読書感想文を。

銀河英雄伝説 Die Neue These

gineiden-anime.com

初代アニメ版にはまった以上、新章(新約というべきか)にも興味がそそられる。

まだ、アムリッツァ会戦前までだけれど、結構多くの動画配信サイトで配信されている。

初代でもそうだったけど、新章でも同様に「違和感」がある。それを何となく書きたいと思いました。

ただ、全体としては大変面白いし、高く評価されるべきだと思う。

僕の気になる「違和感」というのは、枝葉末節にすぎる、と自分でも思うけれど、世界観の根幹にかかわる部分でもあると思うので。

 

①「降伏」は「不名誉」か。

戦闘後降伏する上で、名誉の降伏と不名誉の降伏がある。

存分に戦い、かつ騎士道精神を全うしたと敵味方相互に認められ、これ以上血を流す必然性を感じない結果の降伏は、おそらく古今東西共通の名誉ある降伏だ。これが例外だったのは、第二次世界大戦での日本とドイツ・イタリア、そしてソ連くらいなもので、日本以外で共通しているのは戦争指導者の戦争経験が浅いということ。戦場で血みどろになった指導者ならば、降伏する将軍の苦しさ、辛さは分かっているだろうし、そもそも降伏することで死傷者を抑えることは、国家としての存立にかかわる重大な決断だ。負けが決まり、もうどうしようもなければ、さっさと降伏して、捕虜交換で帰国すればいいのだ。修復できるものは修復すればいいけれど、人命は修復できないのだから。

 ナポレオン戦争のときも、ナポレオン軍もヨーロッパ諸国軍も、勝敗が決したら降伏していたし、降伏することを不名誉だと決めつける空気ではなかった。もちろん、戦わず裏切る、保身のために降伏することは不名誉だが。

 

 アスターテ会戦でのムーア提督の、もはや劣勢挽回などできない状況での「俺は無能かもしれないが、卑怯者でない」として艦隊全滅の道を選択するのは、少々違和感を感じる。旗艦が指揮能力を失い、艦隊の全体の戦力が著しく減退している(通常、全戦力の2割から3割を喪失すればその艦隊は「壊滅」となる)状況で、まだ戦おうというのは艦隊指揮官としての指揮能力が著しく減退しているといわれても仕方ない。

 このあたりの登場人物の「善悪観念」「正々堂々としているか卑怯者か」という感覚は、ちょっと日本寄りすぎるような気がしてならない。

 

②皇帝陛下の呼称

 ラインハルトが元帥号を授与される場面で、侍従が「皇帝フリードリヒ4世陛下」と呼ぶ。おいおい、と思う。

 例えば、今上天皇陛下を「平成天皇陛下」と呼ぶか?4世というのは、あくまで同一王朝における同一諡号の皇帝が存在する場合において付けられる「4番目」という意味であって、侍従ごときが「4世」なんて言ったら即刻ギロチンだろ。

 皇帝という存在は絶対的な存在で、いわば神と等しい。その名前が、生まれたときに「フリードリヒ」と名付けられたので、後世「フリードリヒとなずけられた4人目の皇帝」という意味で「フリードリヒ4世」と呼ぶ。また、古今東西皇帝の名前を呼ぶことも避ける。「皇帝陛下」で十分なはずだ。イギリスで「エリザベス2世陛下」なんて呼ぶ侍従がいるわけがない。今のイギリス王朝において、陛下はエリザベス女王しかいない。そして、エリザベス女王が何世であるかなんて、存命中に言うのは大変失礼な話だ。臣下であろうと誰であろうと、皇帝への呼称は「陛下」であり、それ以外あってはならない。

 ただ、近親者(例えば親など、皇帝であっても目上と認めざるを得ない存在)は、フリードリヒと呼んでも許されるだろう。そうした場面を想定して、皇帝と同じ名前を皇室でつけることはタブーとなる。孫の名前をフリードリヒなんてして、宮廷で「フリードリヒ」と呼べば、不敬罪にあたるからだ。その意味で映画「The Queen」は興味深い内容だった。徹底して、王室内部の作法や語法を調査したからだ。

 

この二つだけが気になった。

個人的には、新章のほうが原作に対して「つじつまが合う」ような気がする。