日々ぴこぴこ

TESとかFalloutとか、思ったことを淡々と。

FM京都 佐藤弘樹さんの訃報

ゲームのブログなのに。

 

若いころから近畿で生活していることもあり、最近は仕事で車に乗ることが多いこともあり、通勤退勤仕事中問わず、なんなら家の中でもラジオを聴いている。

中でも、佐藤弘樹さんの「α-morning Kyoto」は、どんな環境でどんな仕事をしている時でも必聴というべき、素晴らしいプログラムだった。

最近、佐藤さんがお休みがちで、代打DJの人がやっていたが、佐藤さんの代打は大変だろうなあ、と思いながら聴いていた。

 

冒頭、じっくり導入の音楽が流れる。不思議と、その日の天候にぴったりくる音楽が流れる。

「おはようございまぁす、佐藤弘樹、です」

名前のあとに、少し間がある。何百何千回と聴いた、あの甘い低音の声。

「今日の京都は、冬らしい冷え込みですね。天気の方から見ていきましょう。今日の京都は、最高気温が7℃。7℃。この時期らしい冷え込みですね。最低気温は1℃ですが、今の京都は2℃。わたくし、今朝家を出ますとね、ぐっと体を包み込むような、と申しますと大げさですけれどもね、ああ、冬が来たなあ、と思いますね、この冷え込み。まあ、当然といえば当然なんですけれども、この時期はまだ家を出るころは暗い。ああ、冬だな、なんて当たり前のことを実感するこの頃です。どうぞ暖かくお過ごしください」

丁寧な天気の情報後、ヘッドラインニュースを送ってから、「ラフリング・ペーパー」。新聞各紙を「ruffling」しながら、佐藤さんが気になったニュースを知らせる。以前は本当に新聞を「ruffling」している音が聞こえてきて、何かほほえましかった。

ここが、案外佐藤さんの本領発揮のポイントだ。最近よく怒っていたのは、品質不良問題と官僚の長年の失策についてだ。

「職人さん、なんですよね。現場で何十年と働いている方々なんですよ、ね。で、この品質でいい、この程度でいいんだよ、後がつかえているんだから、もう完成でいいよ、お客さんに渡していいよ、と判断されたんですよね。そこでなぜ、『いや、俺の目の黒いうちは、この品質では出せない』と言えなかったのか。なぜ『この程度でいいや』と思ったのか。そこが問題のように思いませんか?」

「民間で問題が発生したときは、責任者はだれだれです、こういう処分を下しました。申し訳ございませんでいた。商品回収いたします、失礼いたします。でもね、日本のお役所というのは、誠にこう、よくできていると申しますか、だれが責任者で、だれが問題を起こして、だれが責任を取るのかが、全くわからない。各お役所で問題が発生しました。慣行でした。現在の担当者は前任者から引き継いだだけです。申し訳ございませんでした。で?そのあとは?ないんですよね。この日本の、偉大な官僚機構でさえ、これは皮肉じゃございませんけれどね、本当にほとんどの官僚の皆さんは大変な仕事をしていると思いますけれども、最終的な問題解決は、こう、なんともうしましょうか、日本のお役所的な、と申しますか、濁されていくんですよねぇ」

おおむね、こういうことを朝の7時から怒りながら発言していた。

常に、佐藤さんの視点は達観していて、まるですべてのニュースを斜め上から、構図を理解してみているかのようだった。

「我々のように、マスメディア、ラジオDJもいわばマスメディアの一端を担っているわけでございますけれども、結局のところ、伝えるか伝えないかは取捨選択しなければなりません。え、こんなこと伝えなくていいの?ということもございます」

と自省気味に語られるときは、自分の立場ですら達観して、見ているように思えた。

 

ある程度ニュースを語ったのち、ノンストップ・ミュージック。曜日ごとに佐藤さんの選曲が光る時間だ。中でも映画音楽とジャズの曜日は、語り口に熱を帯びた。

ちょうど8時半。佐藤さんの、もう一つの本職ともいえる英語のコーナー「ワンポイント・イングリッシュ」。ただの英語センテンス解説ではなくて、英語の考え方、日本語の考え方、その脳内での構造の違いにまで解説が及ぶのが、まったくもって見事というほかなかった。

「ほら、学校でこう学ぶでしょ。でもね、正しいんですよ、たしかに正しい。でも、聞いている側にしてみれば、あまり面白い言葉遣いじゃない人だなあ、あまり上手い話し方じゃないなあ、と伝わってしまう。英語の場合は、まず最初のほうに相手の関心を引く言葉を必ず置くんです。例えば変な事があった、strangeだ、としますよね、すると、相手方が『え、何がstrangeなの』と思うためには、最初のほうにstrangeを入れないといけない」

英語について、一から考え方が覆される、そんなコーナーだ。

 

そのあとは、音楽をひたすら掛けながら、アナウンス。必要に応じて雑談。それも面白い。ずっと佐藤さんの、知識と知性と品性と、ブラックユーモアも混じった冗談と、時々おっさん臭いダジャレを聞いていたいくらいだ。

 

最後、5分くらいかけて丁寧に、一つのニュースや情報を語り、

「〇〇的かと思ったら、××的で、△△かな、と思ったら□□な、佐藤弘樹でした。それではまた明日」

とニュースと掛けた軽妙なトークで終わる。

 

佐藤さんのラジオは、もっと長く長く聴けると思っていた。

そのたびに、新しい視点、考え方を教えてもらえると思っていた。

まさか、この若さでお亡くなりになられるとは。

 

ご冥福をお祈りいたします。