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日々ぴこぴこ

TESとかFalloutとか、思ったことを淡々と。

Steamでのレビュー

Fallout4 ヌカ・ワールド

※2016年10月2日改稿

SteamにFallout4とヌカワールドのレビューを投稿した。Fallout4本編は一か月くらい前、Nuka-Worldはこの前だ。

どうも、このレビューを見てここに来てる方もいるみたいなのだが、Steamのレビューは入力しづらい仕様なので、ここで補足説明をしようと考えた。

 

本編は個人的に気に入ったが、ヌカワールド、お前はだめだ。

 

【Fallout4本編について】

僕はゲーム評論家でも、評論家になろうと思ったこともないけれど、たとえば、Fallout4は海外レビューサイトを、それこそ目を皿のようにして見て回った。

ところが、日本ではSkyrimの影響か、あまり悪い評価や評判を書くサイトがなかった。

そういう「ベゼスダマンセー」な記事より、海外のレビューのほうがよっぽど参考になったことは言うまでもないが、僕は僕なりに、新しく買おうかどうか、Steamアプリを前に思案している人々に、判断材料を提供しなければならない、そういうゲームだと思ったから投稿した。

海外レビューサイトの内容についてはいずれ書くとして。

ベゼスダはたぶんTES3ころから、圧倒的な評価を得てきた。

僕はTES4、TES5、Fallout3、NVとやってきたけれど、どのゲームにも「企業らしさ」を感じた。

TESシリーズは置いといて、Falloutシリーズは3とNVで大きく違うのは、当然知っている。3に対しては「悪人プレイサイコー」「突き抜けてるー」みたいな、まるでスーパーの刺身セットに「新鮮」というシールを貼っているようなレビューを見ることが多い。そりゃそうだろう、刺身なんだから、という感じ。

ただ、悪人といっても知れてるけれど。この2016年という混沌とした、小説よりもはるかに恐ろしい事件が海外で多発する時代だと、むしろ白々しいほどの「悪人」だけれども、それでも楽しいのはわかる。

Fallout3からNV(たとえそれが、ベゼスダのチームではなく、実質的には元スタッフによるものであっても、経営的な影響力は強く受けているだろうから、NVも含めて)を通してのベゼスダは常に、お客さんが求めていることを100パーセント叶えるのではなくて、お客さんの中の30パーセントくらいが胸の内に秘めている、悪戯心を刺激してスパークさせることの天才だと思ってきた。

一方、TESシリーズはだれもが楽しめる、それでいてやり込めるかどうかは人次第という、まるで入口は公園なんだけれど中に入るとすべてのアトラクションが5000円均一みたいな、「プレイ人口は多いけれど長くプレイする人は必ずしも多くない」スタイルだと思う。いまだにTES4やっている人がいるくらいだ。

TES4のDark Brotherhoodクエストなんかは、なかなかの満足感があり、心折られるエピソードが豊富にあるが、これも21世紀のテロ戦争の真っ盛りになると、少し大人しめに感じられるくらいじゃないか。TES5でも亡霊となったあのひとと再会できるなんて、素敵すぎる。同窓会で好きだったころの女性が100キロ超になったのを見たとき、あるいは、近所に住んでいた、以前「清楚」だった同級生が、ヤンママになって子供をしかりつけているほうがよっぽど、心を打ちのめされるのだ。僕は結婚しているけれど、それでもやっぱり、ああいうのは精神衛生上よくないね。

Fallout4のレビューに戻すと、ちょっとみなさん期待しすぎじゃないですか、あるいは、ちゃんとシナリオ読んでますか?と言いたくなる。Fallout4はFalloutシリーズの4番目ということだが、だからと言ってFalloutシリーズから逸脱しているから100点満点中50点、というのは、無いものねだりというものだ。Fallout4を評価するとき、Fallout4をしっかり読み、プレイして評価しなければ、製作者に失礼だろう。

例えば、Skyrimでドラゴン倒してません自慢をツイッターする人たちを見ると、切なさを通り越してあきれ返ってしまう。え、パーサーナックスと話してないんすか?アルドゥインの最期(最後?)について語り合えないんすか?同胞団のあの爺さんと、ソブンガルデで再会したときの感動とか、知らないんすか、それでプレイ時間だけ伸ばして、自慢してるんすか、そうすか、という感じ。いや、年中空にドラゴン舞っているのに、のんきにエロいフォロワー12人もつれてはしゃいでる場合じゃねえだろ。

 

Fallout4のスタートは、きれいな、でもどこかレトロな2070年代後半、核戦争間近に始まる。こんな綺麗なMr.ハンディーには感動すら覚える。その後、200年が経過すると、あらゆるものが散らかっている。過去のままの価値観を持ったロボットや人造人間が「今のこの時代は、あらゆる倫理観が崩壊している」と言ったり、「清潔じゃない」と嘆く。

ところが、居住地を生きる入植者たちは、屋根さえあれば幸福度が80まで上がってしまう。要するに、そういうことなのだ。

2288年の人々にとって、現代のわれわれの清潔感とか、様々なフラストレーションの貯まる要因(騒音とか異臭とか)は不快要素じゃないのだ。屋根とベッド、食い物と水(しかも放射能に耐性がついているから、放射性物質がまざっててもある程度はだいじょうぶ)があれば万歳なのだ。なかなか無いよ?壁も無い、異音も異臭もするベッドで「快適度80パーセント!」と叫べる人は。今の時代。

Fallout4は、やっと崩壊した世界の「復興」がテーマであり、その復興をどのようにするか、という戦いだ。人造人間を派遣して自分たちの正義を押し通すインスティチュート、頭が「ぱっぱかぱー」なキャピタル・ウェイストランドから来て「人造人間なんて一掃じゃ」というBOS。人造人間、ある程度増えちゃったから仕方ないよね。受け入れようよ、仲良くしようよ(ただし復興案は皆無)というレールロード。そして、「ところで将軍」ミニットマン。このところで将軍にいら立つ人は多いけれど、あのひとも苦労してんだよ。ちょっとは休ませてやってよ、と僕なんかは思う。ただ、ガービー復活・クインシーで大暴れ大作戦みたいなクエストくらいは欲しかったです。

キャピタルウェイストランドは、まるで殺人者が生き残るような、頭が「ぱっぱかぱー」な世界だけれど、どこかで復興しなければならないし、人類が滅んでしまう。そこで、アメリカのどこかの地域では、比較的平和で復興がなんとか進んでいる地域がなければ、論理的に破たんしてしまわないか。そういう意味では、私のようなゲームしながら違うことばっかり考える人間には、「なるほど」という構図がようやくできた。

コモンウェルスの人々は、こうやって生み育てられ、キャピタル「ぱっぱかぱー」ウェイストランドで殺されるんだ!という構図。

 

【ヌカワールドについて】

 

何も善人プレイをしたい、というだけでレビューを悪く書いているわけじゃない。

Falloutシリーズは、そもそも、TESシリーズとは違って、選択肢の自由度が低いものだ。Fallout3は、ある意味、他社が育ててきたブランドをベゼスダ風にアレンジした結果だから、比較的自由だったけれど、親父を救うか否か、世界を改善するのに努力するか否かの選択肢はない。また、リベットシティなどの街に行くには、必ずクエストを進める、あるいは勝手に進んでしまうという点でも、Skyrimのような自由度は低い。だって、Skyrimではクエストが進もうが進まなかろうが、すべてのホールドを探索できるし、すべてのダンジョンを攻略できる(ソブンガルデを除いて)。だから、エロいフォロワー12人連れて、ドラゴンが農民たちを苦しめていてもニヤニヤしながら撮影会開く、気持ち悪いドヴァキンが生まれるわけだ。

 

「自由度高い」「オープンワールド」といっても、一定のシナリオと制約がないと、ただのサンドボックスゲームになってしまう。そういう世界が欲しい人は、そもそもFalloutシリーズを楽しめないだろうし、それでもする人は、たぶん勘違いしている。一定の制約と、一定のシリーズ知識、そしてメインクエストを一定程度進めなければならない、というのは、ゲームなんだから当たり前でしょ。

 

ヌカワールドの冒頭は、Falloutシリーズ恒例の無線に始まる。そしてレイダーの世界に入り、あるレイダーと協力関係になって、ヌカワールドを探索する、というストーリーなのだが、ちょっと待ってくれ、となる。

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ニックだって言ってるように、そもそもFalloutシリーズにおけるレイダーは、細切れされたチーム編成で、しかも頻繁に仲間割れする(レイダー拠点では、レイダーらしき死体がつるされてるでしょ)。また、レイルロードクエストでもドクター・キャリントンがいうように、彼らは人質を取るくらいなら「食べてしまう」。そういう、シリーズで醸成された「レイダー」という徹底して無知で悪役な存在を、なぜかわれら111は救うというシナリオを、「強制」される。ここに、選択肢はない。

じゃあ、レイダーのリーダーになったから、ボストンでもレイダーすべてが味方になるのか。主人公すらも、入植者などを見たら「ヒャッホー、新鮮な肉だ!」となるのか。

本編では「復興」がテーマであり、このテーマには多くの共感を得てきたし、そもそも本編の選択とは、どのような復興であって、どのような破壊ではなかったはずだ。インスティチュートにせよ、BOSにせよ、ミニットマンにせよ、これらの選択肢は「どのような復興」であって、破壊ではない。本編には破壊という選択肢はなかった。

ところが、この一つのDLCだけですべてを「破壊する」選択肢しか与えられないとなると、驚愕を通り過ぎて違和感しか感じないプレイヤーが過半なのではないか。もしこのDLCのストーリーを受け入れられる人がいるなら、その人は単なる「ベゼスダマンセー」「ベゼスダ神!」な人か、よっぽど本編のシナリオを楽しめず、楽しまず、知らない人くらいなものだろう。そういう人のいう「ゲームの楽しさ」って何さ。もうマインクラフトとか、FPSとかやってろよ、と思うのだ。

 

ヌカワールドがこのような形で出ることを想定するならば、これまでのベゼスダなら、本編でもレイダーを選択できるシナリオの幅があっただろうし、復興以外に破壊を選択することもできたはずだ。例えばミニットマンに加盟しない、レイダーを味方につける(NVではレイダーの亜種みたいな連中と同盟を締結するミッションもあったし)。本編で全くない選択肢を、突然DLCで強制されることに、「ベゼスダ、どうしてしまったん」と言わざるを得ない。たぶん、これまで100点満点を得てきた彼らは、Fallou4で突然「及第点ギリギリ」の評価に焦り、「ヒャッハープレイ」ができるDLCを「出さなきゃ(使命感・評価のため)」になったんじゃないか。そういう気すらしてくる。

 

 

ヌカワールドまでは、賛否両論あってもよかった。ファーハーバーもいい。霧さえなくなれば尚よし。オートマトロンもいい。でもヌカワールドは、これまでのFallout4が築いてきた世界観、ストーリーを、ベゼスダが自ら「ばーん」とひっくり返した、記念碑的な作品なのだ。